長野地方裁判所 昭和41年(ワ)163号 判決 1967年12月22日
原告 仲俣光雄
右訴訟代理人弁護士 丸山衛
被告 鈴木建設株式会社
右代表者代表取締役 鈴木孝佐治
主文
被告は原告に対し、金一八一万五〇三八円およびこれに対する昭和四一年一二月一日から支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、被告の負担とする。
この判決は、原告が金二〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実
一、原告は、「被告は原告に対し、金二一三万六九七六円およびこれに対する昭和四一年一二月一日から支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。
1 原告は肩書地で農業に従事するかたわら、昭和三八年から長野市三輪横山所在長野運輸株式会社第二営業所に貨物自動車の上乗員として勤務し、自宅から通勤するため原告所有の軽二輪自動車(九〇CC)(以下スクーターという)を使用していた。
被告は肩書地で製材工場等を有し、建築業を主たる営業とする株式会社である。
2、原告は、昭和四〇年一〇月四日午後八時五五分頃、その日の勤務を終って自宅に帰るため、原告所有の前記スクーターを運転して長野県上水内郡三水村晋光寺地籍被告会社製材工場附近の国道一八号線のセンターラインの左側約一・五メートルの線を時速約三五キロメートルで西進していた際、前方から進行してきた五台ほどの対向車の前照灯がまぶしかったので、事故を避けるためやや減速して道路左端に寄った途端に、国道に突出して置かれていた被告所有の馬力用運搬車(車巾約一・二メートル、長さ約三・六メートル、ゴムタイヤ附四輪車で、荷台は四寸角材二本を平行に並べて作られたもの。以下馬車という。)の荷台の右後端部にスクーターの左フロントフェンダーを衝突させ、よって、右スクーターは大破し、原告は左膝関節部を強打して左下腿開放性骨折の重傷を負った。
3、事故現場附近は、村はずれで道路には街灯がなく、幅員八・二メートルで柏原町方面に向って半径二四〇メートル位の右カーブが終って一〇〇分の二位の上り勾配となっている舗装道路の中途であるが、馬車は国道にほぼ平行にしかも後部を道路左端から約一・八メートル中央に向けて突出させた位置に置かれており、馬車の後部には反射鏡電灯その他馬車の存在を警告する装置はなかった。右現場附近は、昭和三八年から本件事故までの二ヵ年の間に、原告の知るだけでも六件の交通事故があり、供養塔や安全塔が建立されているほどの危険地帯で、中でも昭和三八年九月二二日には被告工場附近路上に駐車していた被告会社所有のオート三輪車に原動機付自転車が衝突して運転者が即死した事件があり、また本件事故の直前である昭和四〇年九月二九日には西山順一が対向車の前照灯に視覚を失って本件の馬車に衝突して乗っていた原動機付自転車を損傷し、翌三〇日に右同人が被告の代表者に対し直ちに馬車を取り片づけるよう申し入れた事実がある。
被告は、右地点が交通事故を起しやすい極めて危険な個所であることを充分知っていたものであるから、事故発生を防止するため道路上に危険物を放置する等は極力避けるべきはもとより、万やむをえず道路上に馬車のような危険物を放置する際は最も危険の少ない状態に位置を定めるよう配慮するとともに、その所在を交通者に知らせて衝突事故等の発生を未然に防止する措置をとるべき義務があるというべきところ、これを怠り、前記のように極めて危険な状態に馬車を放置していたものであって、被告は本件事故発生につき故意または重大な過失があったものというべきである。
よって、被告は原告に対し本件事故により原告の蒙った損害を賠償する義務がある。
4、原告は、本件事故により次のとおりの損害を蒙った。
(一) 直接損害
(1) 医療費 一〇万四六二六円 内訳は、昭和四〇年一〇月四日から同月五日までの国保中央病院の分五一四一円、右同日から昭和四一年一月三〇日までと同年六月二二日から同年七月一日までの長野赤十字病院の分九万七三七五円および同年三月九日から同年四月一〇日までの片桐病院の分二一一〇円。
(2) スクーター修理代 三万二三五〇円
(二) 身体障害による喪失利益
原告は、本件事故による負傷により、左膝関節は伸長したまま固定し、生理的運動領域はわづか五度にすぎなくなり、歩行に際し著しく跛行を伴い日常生活に重大な支障を来している。その結果、原告は受傷前の職場に復帰することはもとより、肉体的労働に従事することは殆んど不可能になった。労働基準法施行規則別表第二の身体障害等級表によると、関節の完全強直またはこれに近いものは「関節の用を廃したもの」として扱われているから、原告の右障害は同表第八級中の八「一下肢の三大関節中の一関節の用を廃したもの」に該当するものであって、その労働能力喪失率は一〇〇分の四五とされている。それにもとづき昭和四〇年九月分の原告の月額給与を基準にし可働余命を二〇年としてホフマン式計算方法により喪失利得の現在価を算出すれば、一五七万六七六七円となる。
(三) 精神的苦痛による損害
原告は前述のように本件傷害により半年以上にわたって入院し、苦痛に耐えて再度の手術を受け治療に専念したが、その甲斐もなく左膝関節が強直したままという思いもかけない身体障害を一生その身に残すこととなった。そのために、日常生活にも極めて不便を感ずるばかりでなく、職場も失い、従来から続けてきた農作業も殆んど不可能となり、老父と妻子を抱えて今後の生活を支えていかなければならない原告の精神上の苦痛を慰藉するためには少くとも金一〇〇万円を下らない。
5、よって、原告は、如上の損害のうち、医療費一〇万四六二六円、スクーター修理費三万二三五〇円、喪失利益一五〇万円および慰藉料五〇万円合計二一三万六九七六円ならびに右金員に対する訴状送達の日の翌日たる昭和四一年一二月一日から支払いずみにいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため本訴に及んだ。
二、被告は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、請求原因事実に対し次のとおり答弁した。
1、請求の原因1記載の事実は認める。
2、その余の請求の原因のうち、原告が損害を蒙ったことは知らない、その余の事実は否認する。
3、原告主張の事故現場附近の道路の右(北)側には街灯が一箇あり、その附近の状況の判別はつく。また、被告が馬車を道路上に車輪を突出させて置いていたのは事実であるが、その幅は道路左端から一メートル程度である。さらに、西山順一が被告に対しバイクの損害賠償方申入れをしたのは、本件事故より後である昭和四〇年一〇月一〇日頃である。
4、原告主張の事故現場附近は比較的見通しもよく、夜は交通も少くかつ駐停車禁止区域でもないため、食事、仮眠その他の理由で駐車している自動車が多くあり、駐停車中の自動車に衝突して事故を起した二輪車(バイク等)が数件あることを被告も知っているが、これらの事故の大部分は酩酊運転、スピードの出しすぎ、前方不注視等運転者の不注意が原因となっている。
原告は、本件事故を警察にも届出でず、また被告の工場、住居が至近距離にあるにも拘らず被告に直ちに報知することなく、昭和四〇年一〇月二〇日頃になって人を介して損害賠償を申し入れてきたのであって、これには原告自身において前方注視を怠ったりその他何等かの過失があったことによるものと思考される。
三、証拠≪省略≫
理由
一、原告の請求の原因1の事実は、当事者間に争いがない。
二、≪証拠省略≫によると、請求の原因2の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
三、そこで、原告の受傷につき被告に過失があるかどうかを判断する。
検証の結果によれば、本件事故現場は、長野市方面から来て右カーブが終り、東から西に向ってゆるい上り勾配になっているほぼ直線の見通しのよい舗装道路上にあり、現場附近の道路は平坦でその幅員は八・三四メートルであるが、道路の南側は土堤になっていること、馬車は長さ三・四二メートル、前輪巾一・三四メートル、後輪巾一・六〇メートル、荷台の高さ〇・六四メートルで、荷台には左右両側に一〇センチメートル角の角材が固着されているが、馬車の後部には反射鏡、電灯その他馬車の存在を警告する装置は何も設けられていないこと、が認められる。そして、前記認定のように、原告は右道路のセンターラインの約一・五メートル左寄りの線を西進していた際、前方から進行してきた五台ほどの対向車の前照灯がまぶしかったので左に寄った直後、被告の馬車の荷台後部右側の角材に衝突したのであって、当時原告が前方注視を怠っていたとか、飲酒運転をしていたとかの事情を認めるに足りる証拠がないことからみると、当時馬車は後部両車輪が道路上に置かれていたこと、すなわち、道路の左端から馬車の後部右側の車輪あるいは荷台右側の角材までの間隔は少くとも一・四メートルはあったものと推認される。
次に、≪証拠省略≫を総合すれば、本件事故現場附近は国道一八号線として交通量も比較的多く、本件事故前数年間に各種の交通事故が数件発生していて、供養塔や安全塔が建立されている地帯であること、本件事故の直前である昭和四〇年九月二九日午后六時四五分頃には西山順一が本件事故と同様対向車のライトがまぶしかったので左に寄ったとたんに馬車の右後輪タイヤに衝突顛倒し、乗っていたバイクを破損した事件があり、翌三〇日には西山が被告会社代表者に対し直ちに馬車を取り片づけるよう申入れたことがあること、被告会社代表者は、近隣の山から材木を切り出すために馬車を用い、その始末は従業員に任して交通上危険がないかどうかを点検することをしていなかったことが認められ、右認定に反する被告代表者尋問の結果は信用しない。
ところで、道路上に交通の支障となるべき車両その他の物体を放置することは、たとえその場所が駐停車禁止区域でない場合(本件事故現場附近が駐停車禁止区域であったことの証拠はない。)でも事故発生防止のため極力避けるべきであることはいうまでもなく、やむをえず放置する場合には交通者にとって最も危険の少ない状態に位置を定めるよう配慮するとともに、その存在を交通者に知らせて衝突事故等の発生を未然に防止する措置をとる義務があるというべきところ、被告会社は、以上認定の事実からみると、これらの義務を怠り、危険な状態に馬車を放置していたものというべく、したがって、本件事故発生につき重大な過失あるものとして、原告の被った損害を賠償する義務がある(被告代表者尋問の結果によれば、本件事故当時道路の北側すなわち馬車の置かれていた側の反対側の土堤上に街灯が一基備付けてあったことが認められるがそれがあるからといって被告会社の注意義務がなくなるわけではない。)。
四、そこで進んで、原告の蒙った損害額について判断する。
(一) 直接損害
(1) 医療費 ≪証拠省略≫によれば、原告は本件事故後直ちに近くの国保中央病院に収容され、翌昭和四〇年一〇月五日まで入院して五一四一円、次いで右同日から昭和四一年一月三〇日までと、同年六月二二日から同年七月一日までの間長野赤十字病院に入院して合計九万七三七五円、同年三月九日から同年四月一〇日まで野沢医院に入院して二一一〇円、以上総計一〇万四六二六円の医療費を支出したことが認められる。
(2) スクーター修理代 ≪証拠省略≫によれば、原告は本件事故によるスクーターの破損につき修理代三万二三五〇円を要することが認められる。
(二) 得べかりし利益の喪失分
≪証拠省略≫によれば、原告は、本件事故当時三九才で、家業としての農業に従事するかたわら、昭和三八年一二月から長野市にある長野運送株式会社に作業員として勤務し、貨物自動車の貨物の積卸しの役務に従事し、昭和四〇年九月には一ヵ月二万一六三〇円の賃金を得ていたこと、ところが、原告は、本件事故により左膝関節が伸長したまま固定し、屈曲一四〇度までで歩行に際し跛行を伴い、日常生活に種々の支障を来し、その結果貨物の上乗り役務ができなくなり、当時の勤務が臨時作業員であったため自然退職ということになってしまい、一方農作業においても、重作業は普通人の半分程度しかできず、また田植や軽い仕事にしても能率が落ちる状況になってしまったことが認められる。
右の原告の状況からみて、原告はその労働能力の三分の一程度を喪失したものと認めるべきであり、また原告の可働余命がなお二〇年はあること顕著な事実であるから、昭和四〇年九月における原告の賃金をもとにしてホフマン式計算法によりその間の喪失利得の現在価を算出すれば、一一七万八〇六二円となる。
(三) 慰藉料
前記認定の入院治療の経過、固着した身体障害の程度および労働能力低下の状況からみると、原告の本件受傷によりこうむった精神上の苦痛を慰藉するためには、五〇万円の賠償を得させることが相当であると認める。
五、被告は、原告の過失を主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。
六、そうすると、原告は、被告に対し叙上認定の医療費一〇万四六二六円、スクーター修理費三万二三五〇円、得べかりし利益の喪失一一七万八〇六二円および慰藉料五〇万円の合計一八一万五〇三八円ならびに右金員に対する訴状送達の日の翌日たること記録上明らかな昭和四一年一二月一日から支払ずみにいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めることができるものというべきであり、原告の請求は右限度において正当として認容し、その余は失当として棄却することとし民訴法第八九条、第九二条但書、第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 西山俊彦)